アート、デザイン、ハンバーガー
- 2019.09.26
- 建築
アートとデザインの違いは、ハンバーガーとマックの店員さんほどの違いがある。両者とも同じ空間にいながらまったく異質で、第一店員さんは食べられない。なにが言いたいかというと、べつにマックでなくてもいいのだけど、店員さん(=デザイン)には明確な目的があり、目的の遂行のために行動する。顧客の満足度を上げ、利潤を追求すること。ご一緒に〇〇はいかがですか?とか。
アートであるハンバーガーはそれ自体なんの目的意識も持っていない(と思う)。チーズの溶け具合だとか肉汁のたれ具合は、そのものの存在価値を高めこそすれ、ハンバーガーは目的完遂の美酒に酔うことはない。だってすでに食べられてるもん。
こう考えると、つくづくアートって損だなあと思う。いやいや、今日はそんなことが言いたのじゃなくて、デザインとはなんぞやという定義をしたためたかったのです。
世の中にはいろんなデザインがあふれているけれど、その向こうに目的がある行為だと思ってみると、また違った風景が見えてくる。さるお方が、デザインとは目的を持ち様々な与条件を整理整頓することだといった。まさに、木造住宅のデザインもしかりである。
最近、とある地下鉄ホームのデザイン案が不評で違うデザイナーに発注しなおしたとか、オリンピック関係になるとグラフィックデザインからスタジアムまで、常に観衆の目にさらされ、いいの悪いのと批評の的にさせられて二転三転してしまった。ここでの与条件は、不特定多数の人々が気持ちよく利用することができ、できれば予算内で(工期も)仕上げること。後半部分はなんとかできるとしても、前半部分で間違えると取り返しのつかないことになる。「不特定多数の人々が気持ちよく利用すること」なんて当たり障りのない字面(じづら)だけじゃないかと思って取りかかるとひどい目を見る。
じつは僕らの仕事の大部分はこの「当たり障りのない字面(じづら)」をいかに血肉化し結晶化させ、血の通ったリアルな実像として結ばされるかに尽きるのだ。
そう考えると僕らのやっている木造住宅のデザインは、一過性の流行り廃りで済ませたくないなと思ってしまう。だって何十年もそこに住むのですよ。その間に小さかった子供は大人になって結婚して夫婦二人だけになって、もしかしたら孫がやってきたりしてなんて考えると、流行よりも普遍性を求めるのが自然に思える。オリンピックは数週間、住宅は100年。
たかがデザインされどデザインである。
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