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家づくりにおいて暮らしをデザインするということ(つづき)

  • 2018.12.17
  • 建築

引き算の美学というのがある。どうして引き算かというと、できる限りギリギリまで装飾を排して、最後に残った形や素材が美しく見えるというもの。 だから最初に答えを想定してその答えに向かって「足し算」していくという手法でなく、いらないものを削ぎ落していった結果に見えてくる美しいもののことをいう。日本の茶室がいい例だけど.、極端な例ではミニマリズム・アートとというものもある。 暮らしの気持ちよさを求めるならミニマリズムはちょっと行き過ぎの感はあるけど、余計な装飾や出っ張りは家づくりにおいては、やはりないほうがいい。

 

 

珪藻土の壁は見方によってはイタリアの塗り壁のようでとても気持ちがいい。寂れた感じが出てくると一層イタリアの田舎の修道院みたいな趣がある。それにほとんど「面」だけで構成されるので余計な線がなくそれこそ「引き算の美学」が実践される。 現代的な(冷たい)ミニマルアートよりも、侘び寂びの茶室に通じるものがあるんじゃないかと密かに思っている。 茶道というものはそもそも客人をもてなす「おもてなし」が様式化したもので、所作やしつらえが究極に単純化されたものである。なぜか。 装飾や過度の演出をしないことによって見えてくる(あるいは感じてくる)ものがある。それは、雨の匂いであったり風のそよぐ気配であったり。ようするにふだん我々が見落としている、気づきもしないあらゆるものの「気配」である。気配はほんとうに儚い。 だから我々は見落としてしまうし、現代のような世知辛い世の中だと「ない」ものとして無視してしまう。なんだかとっても寂しい。これを侘びと言ったり寂びと言ったりする。もののあわれ、なんて言い方もできる。

 

 

余談だけど映画監督の溝口健二はこの「もの」の表現がとてつもなくすごかった。最近4Kデジタルで修復された「雨月物語」や「近松物語」なんかは、そこにはないものの気配で満ち溢れている。「もの」とは見えないものであったり、もののけの「もの」だったりする。「もの」とは気配のことなのだ。「物語(ものがたり)」とはモノが語ることをいっている。平安時代の物語や能の語りなど、それこそ異界のモノが語るから物語という。・・・余談、余談。 ややもすれば私たちは家づくりを「楽に」「便利に」しようとする。けっして間違いではないがその時になにか大事なものを見捨ててはないか。電気ポットのお湯には茶釜から立ち昇る湯気の香りはない。テレビの雑音にかき消されて子供の大事な一言に気づいてないだろうか(もちろんYouTubeに溝口の深い余韻などあるわけがない)。 雨は空から落ちてくる迷惑な水ではなく、季節の訪れを感じさせる匂いと気配だと感じることができたなら、その時こそ私たちの暮らしがほんとうに豊かになった時なのだ。   大分で家を建てるなら 府内町家もご覧ください  

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