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形、フォルム、木造住宅

  • 2019.04.30
  • 建築

今日は形のことを書く。

カタチそれ自体には意味はなく、何かしらの感覚を想起する力があるらしい。 今どきの芸術表現のなかでいちばん形(というかフォルム)にエネルギーを注いでいるのは、じつは映画だという気がする。 2016年に公開されたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「メッセージ」に出てくる宇宙船といえば話は早いだろうか。お菓子の「ばかうけ」に形が似ているものの、巨大化した柿の種どころか、ブラン・クーシの彫刻のようにどこか古い遺跡を感じさせる造形美だった。 神秘的で荘厳。「2001年宇宙の旅」にでてくるモノリスを凌駕するような造形である。 おそらくこの映画の製作者たちは、宇宙船のデザインが決まった段階で映画の成功を確信したのではあるまいか。それくらい「形」が(ヘプタポッドの表義文字も含めて)この映画を支配していたのである。

ストーリーを説明してはならない。 これはあらゆる現場のアーティストにとって最初の守るべき鉄則である。 小説、絵画、音楽、建築・・・もちろん映画も。 説明して伝わるくらいなら「誰も絵なんか描かねぇよ」である。 だから何をするか。造形や文体や、音の出し方を研ぎ澄ましてゆくのである。造形や文体や奏法を研ぎ澄ましていった作品ほど素晴らしいものはない。理屈やエゴが入ったり、〇〇らしさを「取り入れたり」するとかなりの確率でダメな作品が出来上がる。変なことを言うようだけど、「言いたいことが山ほどある」アーティストほど表現はつまらない。自分自身も言語化できないけど「何かしら大切なものが隠れているような気がする」ものを一所懸命追い求めることが大事なのである。小澤征爾のブラームスや村上春樹の小説に感じる感覚とでも言おうか、細部とかディティールに神は宿るのだ。 スターウォーズ・ローグワンの監督、ギャレス・エドワーズがいいことを言っていた。 「創造ではありません。サーチ【search】探ることです」 同じ表現者としてギャレスの意見に100%同意する。僕らは創造なんてできないのである。 ここでボードリヤールのシュミレーションとシュミラークルを持ち出す気はないが、実像をサーチすることよりも虚像の創造に向かう(あるいは向かってしまう)惰性を食い止めようとしている表現者がここにいる。

ほとんどの場合作者もなにができあがるかわからない。 建築(僕の場合、木造住宅)などは特にそうで、オリジナリティあふれる意欲的な作品というよりは、手持ちの材料で何ができるか突き詰めて考えるほうがいいと思っている(余談だけど千利休の茶室を呼称する「数寄屋」の数寄は寄せ集めという意味らしい)。

木造住宅は人が暮らすための器である。器が器以上のことをしてはいけない。 だったら何がいい建築なのか(やっと本題に行ける気がしてきた)。 そこに何が必要かを論じるよりも、何が必要でないのかを論じたほうが、はるかにいい建築ができるはずである。ここだけは絶対の自信がある。 いつかデザインの話で書いたことだけど、建築が暮らしの邪魔をしてはいけない。 もっと言うと、いいデザインは美しいから邪魔にならないのであって、そこに理屈や説明や弁解が入ることによって「形が台無し」になってしまうのである。

木造住宅を機械(=機能)としてとらえると(ベンヤミン的機械)大きな間違いを犯す。 美しい器なら話がわかる。 ヴィム・ヴェンダースの「ベルリン天使の詩」を覚えているだろうか。 語り部を失うことを嘆いていた老人(ホメーロス)はベンヤミンのことなのだ。語られることにより神話となっていたものが、文字の発明により物語になった。物語は印刷機械ができたことにより商品になってしまったのだ。

寄り添う

佐藤 隆幸

 

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