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大分で建てる理想の注文住宅はハウスメーカーの日本ハウジング│平屋・新築一戸建てが人気の工務店

つれづれなるままに・・・。

  • 2020.09.30
  • 建築

前々回はギリシャの映画監督テオ・アンゲロプロスの映画を観て。前回は角田光代訳の源氏物語 上 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集04)を読み始めた(読んでしまったなんてとてもじゃないが言えないくらい長い)。そんな勢いで毎回ブログを書いています。

先行する過去の名作から刺激を受けるとか、古典を分析して砂粒のような「なにか」をつかみ取るとか。ほんとうに、ただでは帰らないくらいの心意気がないとモノづくりが苦しくなってしまう。

つくづく思うのは、天才じゃない人間にとってまるっきりのオリジナリティなんてないのじゃないかということ。それと、いつかも言ったけど(言ったっけ?)オリジナリティにはあまり重きを置かないほうがいいのではないだろうかということ。

 

そもそも建築という行為は社会的行為なのである。いたずらに我を出すよりも、どれだけ心地いいかを競ったほうがいいに決まっている。人が暮らすということは、時代が変わっても場所が変わっても、心地よさの基準はそう変わらないんじゃないかと思っている。

 

で、最近はなにに刺激をうけたかなあ。このところ忙しすぎてまともに本を読んでいないなあ、と思って愕然となってしまった。活字中毒を自負するくらいなのに、最近は本を読んでいない。

うーん。

読もうと思って積んでいる本は何冊かあるのですよ。村上春樹の新刊とか池澤夏樹の新刊とか、松岡正剛さんが紹介してた本とか。

これを「積ん読(つんどく)」といいます。とりあえず背表紙だけ見て読んだ気になった状態のこと。

 

 

でもね、これでいいのじゃないかとも思うのです。

僕が思う理想の心地よさは、手を伸ばせば届くところに本があって、テレビじゃなく音楽が流れていて、とにかく静かに時間が流れているようなそんな暮らし。

おりしもコロナ禍。外出がなかなか出来なくなったご時世なので、家でごろごろしてもまあなんとか許されてしまう。いや、テレビだとゴロゴロになるけど読書はゴロゴロにならないよな。

そうか。こうありたいと思う生活は、結局自分が選ぶモノで決まってくるのだと気が付いた。

うつむき猫背はスマホから。箸をちゃんと持つと背筋が伸びる。ソファに服がないリビングはそれだけで美しい。ご飯を土鍋で炊くと家電がひとつ減る。などなど・・・・・・。

 

小難しくいうと、我々の行動はモノによって規定されているのだとあらためて考えさせられた。

気持ちよくって心地いいなんて抽象的な言葉を目的にするよりも、こんなモノあるいは道具だったら、私はこうなれる、こんなふうに過ごすことができる。と考えたほうがはるかに具体的で理想の暮らしに近づけるんじゃないだろうか。

 

佐藤隆幸

 

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